合気道としての私

私の環境は、父の姿を見て育ったに等しい人生です。

 

塩田剛三は確かに達人でした。そして、父という人間でもありました。


親父の心には親子としての優しさも有りました。
いつも子供みたいにはしゃぎながらも、規則正しい行動をしていました。

 

それは何処からきたかというと父の修行時代に成ると思います。
若い頃は、同僚や植芝先生と、合気道を強く成るという目標を持つこと。
楽しい時代は、その時に芽生えたと思います。

 

その後、親父を支持してくれる財界、政界の人々に、
「塩田剛三の合気道は、世の中に残していかなくてはいけない」
という思いで養神館を創りました。


その全盛時代は筑土八幡に始まり、参宮橋の道場まで続きました。


しかし、父の苦労はそこから始まりました。初期の応援してくれた人は亡くなり、小金井に移りました。


父の暗黒時代の始まりです。


周りの人からは、裏切りがあり、信じられる人がいないような孤独な時代だったと思います。

 

そして落合の道場に移りましたが、その時も同じように孤独な状態です。

 

私もその多くの出来事を小さい頃から見たり知ったりしております。

歴史は繰り返すようで、今は私にも同じような事が起こるのだなと感じております。

 

これは、人間の自分勝手な性であると思っております。


私が父から学んだ事はそのような事も含めて、実際に私も体験しているということです。

 

人は、非常に困難になった時に、
「プラスに変えるか?」
「マイナスに成るか?」
のどちらかだと思います。


そこでプラスに生きられる人は、粘り強い精神で、何でも押しきっていける人になると思います。

 

どんなに孤独になろうと、生まれる時、死ぬ時は一人です。


誰も助けてくれる訳ではありません。


そういう気持ちで強い覚悟を持っている人は、
周りからは輝いて見えると思います。

 

勿論、生きている時は一人では生きられないので、多くの人の助けを借ります。

 


おそらく、死後では体験が出来ない、多くの人を助けたり、愛されたりする経験をして生きていくことが人生だと思います。

 

父、塩田剛三は合気道を通して多くの哲学を教えてくれました。


「人には経験の出来ない多くの困難を乗り切れ」という事を、亡くなった後にも私に試練を与えて教えてくれている気がします。

 

今は、合気道の指導を中心に哲学を学び、色々な事を修行して
塩田剛三の本当の精神を哲学として伝えて行くことに喜びを感じております。