イギリスの思い出

この年を忘れることはなく、私は198110月にイギリスに旅立ちました。

 

英語は勉強をしたつもりでした。


しかし、現地に着いてすぐに体育館の上の店で会議がありましたが、全然、理解ができませんでした。


英語の実践の大切さを知りました。

 

最初は、ワトフォードというロンドンから車で1時間くらいの所に道場があるので、そこに住んでいましたが、日本人がまったくいないのでロンドンのゴルダーズグリーンという日本人とユダヤ人の多い所に移り住み、車で送り迎えをしてもらいました。

 

その他には4ヶ所くらい指導に行っておりました。


午前中は学校に通い、夕方から合気道の指導をする暮らしが始まりました。

 

日本で暮らしているのと比べて、海外で暮らす大変さがよく分かります。
また、ヨーロッパに出掛けるとイギリスの安全性が分かります。

 

合気道の稽古では、生徒は皆、真剣に取り組み、日本人以上に熱心で、日本での稽古を夢見ていました。


彼らの中で約10名が10日間ほど日本を訪れて、とても喜んでいました。

 

海外での合気道の指導は、考え方の違いがあり大変でした。


その中で一番良い教え方は、キリストの話と日本の考え方の共通するところがあり、


キリストは、相手が殴って来た場合、

 

「さぞ手が痛かったでしょう」
「もし、更にお怒りであれば左もどうぞ」


と言ったそうです。


日本でいうところの寛大さでしょうか?

 

塩田剛三は、
「殺しに来た人と友達になれ」
と言っています。

 

何か共通していると思いませんか?

 

相当の寛大さと余裕がないとできないことでしょうか?


「それが修行」
と父は言ってました。

 

どんなピンチがこようと、どんな苦しみがあろうと、
それを飲み込んで笑いに変えられる人物に成るのが


「最大の修行」


であるということを私に教えてくれました。


どんな苦しみも笑いに変えられるようになるまで、
合気道を修行していくことが世の中で一番大事でしょうか?


それには、それぞれの自分に合った修行を、
やり続けることが人生を生きるコツになることでしょう。