合気道と英語

音楽は、知っている曲が有ると世界を駆け抜けて、世界が1つに成り言葉も解らなくても、共感することが出来ます。
言葉も英語を通じて世界と共有することが出来ます。
私も、最近ロシアに行って来ましたが、言葉が通じなくても、合気道で皆と共有することが出来ました。
ロシアだけでなく、世界中の人が塩田剛三を知っていまして、私に興味を持ち合気道の技を媒体に、皆と楽しい時間を共有することが出来ます。
それが、海外に行くときに、良かったなと思うひとときです。
言葉も世界の人と通じる大事な媒体だと思います。
今、日本は英語を通じて国際人に成らないといけないと思います。
学校でも英語の教育について多く取り上げていますが、世界共通語である英語を通して合気道を教えるのは、更に喜んでくれます。
でも、なかなか細かい所まで理解するのは難しいですね。特に、集中力と力を抜くことを、英語で説明しても細かい部分を伝えるのは難しいですね。
力に頼らない合気道を志していきたいものですね。

新たな挑戦

ご無沙汰しております。

 

最近、忙しい事が続き、なかなかブログを更新できませんでしたが、Twitterも始めましたのでご覧ください。

 

また、私の息子・将大が合気道の道に入り、更にバージョンアップしていこうと思いますので宜しくお願いします。

 

これからも合気道の精進と充実を図っていきたいと思います。

 

また、哲学と英語を中心に頭を動かし色々な事に集中していきたいと思います。

 

さて、よく「失敗は成功のもと」と言いますが、確かに当たっている気がしますね。

 

ただ生きるより、多くに挑戦して失敗して、それをプラスに変えるのが人生の醍醐味のような気がします。

 

有名人も成功しているように見えますが、その裏では色々な失敗もしていますね。

 

ビートルズのインタビューを聞いていて感じましたが、あれだけ稼いだグループがお金がないと言っていましたね。

 

ジョンのお金が、10年稼ぐよりオノヨーコの2年の稼ぎの方が多かったり、ジョージ、リンゴより彼女の方が稼いでいたとジョンが言っていたのにはビックリですね。

 

税金やその周りの人達に持っていかれてしまうようですね。

 

人は動くと失敗したりするし、動かないと生きる意味に疑問を持ったり、難しいものです。

 

先日は久し振りに鹿嶋神宮と香取神宮に参拝に行ってきました。

 

鹿島・香取は、父(剛三)の時代の初期から行っていましたが、時代は変わり、震災等で新しい祈祷場になっていましたが、新鮮味を感じました。

 

何故なんだろう?と思いましが、父の苦労と自分が重なり、責任者として遣り方は時代と共に変化するとしても、何とか合気道の素晴らしさを知ってもらいたい気持ちは変わらず、塩田剛三の血筋として頑張っていかないといけない責任感から来るのではないかと思いました。

 

父から自分へ、更に子孫へと塩田合気道の技と心を繋げていく責務を感じ、同時に父もそのように思った事も有ったのではと感じました。

 

 

新たな塩田合気道をこれからも宜しくお願いします。

 

 

新年の抱負

新年明けましておめでとうございます。
今年は酉のように高く飛躍できるように皆さんと一緒に頑張って行きましょう。

 

元旦に一年の計を考えるのは大事なことだと思います。

 

今年も風邪が流行ってますので注意して下さい。私も近日、少し風邪をこじらせてしまいました。


風邪を引くと考えることは、人の有り難みです。


そう考えていると、人は皆、見えない糸で結ばれているのではないでしょうか?

何かを求めているときは、やろうと思うと気持ちや意気込みも変わっていきます。


でも、風邪や他の病気で健康な状態ではないとやる気も起きません。ストレスも溜まると風邪も引きやすくなるでしょう。


健康であることが基本になります。

 

父も6才の頃に結核になり非常に弱い身体でした。
弱い身体だからこそ何かをやって強くなりたいと思う気持ちが、剣道、柔道をやるきっかけになり、そして合気道へとつながりました。

 

逆境からの転換が人を強くしていくのです。


何かに挑戦するにも、挑戦してみようか?ではなくて、挑戦しなければならない状況になった人は、ラッキーだと思わないといけないのではないでしょうか?


前に進むしか無いわけです。


あれこれと計画をたてるのでは、まだまだ余裕があります。

 

これしかないと思って実行したら何かを掴めるかもしれません。
そして失敗してもガッカリすることはないと思います。
なぜなら、またそこから新たに始めれば良いわけです。


「失敗は成功の元」とは良くいったものです。
人生経験の年輪が増え、強い人に成長していくでしょう。

 

皆さんも今年は失敗を怖れず、行動してみたらどうでしょうか?
そして、年末になったら今年1年を振り返って反省をしてみれば変化がわかると思います。

 

父も前だけをみて進んだからこそ、合気道に出会えて成功していったのではないでしょうか?

 

修行と人生

合気道を始めるということは、無我夢中でやるということでしょうか。
修行とはそんなもののような気がします。

私の場合は、父が偉大であったこと、また後を継ぐという使命感から哲学を持って頑張っています。
どんなことがあっても、ひたすら1つのことに邁進するのみで、単純な事のような気もします。
しかし、いろいろな環境、誹謗中傷などで挫折し道を曲げてしまうこともあります。
曲げても挫けない心が、蓄積していって哲学ができ、これだけは譲れない不動の心という哲学が出てくるのではないでしょうか?

最近、死は突然やってくるということを経験しました。
さっきまで話をしていた人が、突然(病の為)一時間後に亡くなってしまいました。
若いのに、少し前までこの世にいた人が、あの世という果てしない遠いところに行ってしまったのです。
本当に突然の事で、現実に起こっているという実感がなく、茫然としました。
とても悲しい出来事でしたが、人は永遠に生きられないという事、いつ誰の身に起こるかも分からない、という事をまざまざと感じました。
人として生まれた以上は、先の分からない人生をしっかり生きるということに改めて気付かされました。

最近は、初めてトルコ共和国のイズミルという所へ行きセミナーを行いました。
想像してるだけでは駄目で、その国のその場所へ実際に行って良い経験ができます。
トルコの支部長に会い、国や現地のテレビに出たり、新聞にも掲載され、素晴らしい経験ができました。

合気道の力で世界中のいろいろな人に会えるということを実感し、合気道をやっていて良かったなと思うと同時に、生きる喜びを味わってきました。

人生は未来に向かって常にプラス思考で生きることです。
たとえ辛いことが起きても、それをプラスに変えることが生きる醍醐味のような気がします。

そのためには、大いにその人なりの修行をすることです。
プラス思考であれば、きっと良いことへつながって行くと思っています。

 

 

父と私の小さい頃の想い出

父は、水泳が得意で遠泳をしたり島まで泳いだりしたことがあったそうです。

 

私はあまり得意ではないのですが、とにかくじっとしいるのが嫌いで、運動は万能だったそうです。

 

朝早くから起きて、カブトムシ、クワガタ、セミなどの虫取りが得意でした。

 

そんな所は私もそっくりで、早起きをして、カブトムシやクワガタを何匹もとる楽しみを覚えました。

 

生き物が好きで虫をとったり、遊んだりしたことは父との楽しい想い出です。

 

父に遊びに連れて行ってもらったのは、おそらく2回ほどでした。いつも合気道の仕事で忙しかったのです。

 

父の知り合いの奥多摩へ行って一泊し、朝、早く起きてカブトムシを100匹ぐらい取ったことは特に心に残っている想い出です。

 

私は蝶々もとるのが好きで、専門家のように蝶々の名前をたくさん知りました。

 

海外にも沢山の虫がいるのでとりに行ってみたい、生物学者になりたいなぁと思うこともありました。

 

父は、インドネシアを訪れて、虫を取りに行ったり動物と遊んだりしたようです。

 

小さい頃を思い出すと必ず、父のそばには動物がいました。

 

特に犬が好きでいつも石神井公園に散歩に行って良い運動をしていました。

 

犬と戯れながら合気道の極意も磨かれて行った気がします。

 

いろいろな犬を見て相手の動きが分かり、知らない犬に噛まれそうになっても、直ぐに動きを読んで交わしてしまうことも神業でした。

 

 

合気道の調和

合気道の調和とは、お互いが一つになるということですが、
それはなかなかできることではありません。

 

どこでも対立があるように、二人が集まり会話をすれば、
色々な個性がありますので同じ考えにはなりません。

 

これが大きくなって社会になり、国家になると更に調和は難しくなると思います。 

 

合気道の修行とは、調和ができるように自分と戦う武道です。


他の武道とは大きく違って試合もありません。 
試合があるということは、相手が存在し、そこで二つになるということです。

 

二つになれば戦いが始まり、派閥ができたり和を保つことが困難になります。

 

一つになることが合気道の修行ですので、円い輪ができて行き、大きな心を育てるのだと思います。

 

その基本は、謙虚に自分を見つめて、自分に厳しくなれるか?ということです。

 

また、人に押しつけたり、馴れ合いなるということでもないのです。


その心が合気道の技に反映していけば、素晴らしい合気道ができると思います。

 

「どこまでできるのか?」

 

それを常に求めていくことが修行であって、
到達してしまえば、修行はそこで終わりということです。

 

武道の文字には、「道」という字があり、止まってしまえば行き止まりです。

 

相手を倒すのではなく、稽古をしてお互いに心の通じる合気道の練習ができるようになれば合気道の面白さがわかり、和ができていくと思います。

 

それが更に大きくなれば、素晴らしい調和が取れた人物に成長していくと思います。

 

 

伝統の形式化

植芝盛平先生に学び、それを実践化していったものが塩田剛三です。

 

父は養神館という道場を創設しました。


当時の稽古は厳しく、時代に合ったものだと思われます。


時代とはわからないうちにどんどん変化していきます。


人が年をとるように世間のあり様も変わっていく。

肉体的にも衰えていくことでしょう。

 

人間は自分中心に考えていく動物です。
体裁をいって真実を語らず、共同体というものにすがっています。
反れるものを批判し、そこから排除しようとする。
これが世の常でしょう。

 

塩田剛三の技は素晴らしい。
それは誰もが認めることかもしれませんが、塩田剛三にはなれない。
それなりに考え、真似をしてやっていくしかないでしょうか?
果たして、それだけで合気道の存続はあるのでしょうか?

 

霞を食べて、皆が生きていくことはできません。
生きるためには経済がつきものです。
その為には、人と人との繋がりを大切にして素晴らしい共同体にすることが大事です。

 

大きな心を養う館(養神館)、 これが祖父から受け継いだものであるならば、 その素晴らしい道場はどこへいってしまったのでしょう。

 

父の時代に合気道を応援した多くの著名人がいますが、
合気道をしながら楽しい世界を創っていきました。

私は吉田松陰の創った、
松下村塾のような素晴らしい人材育成に貢献をしたい。

 

日本、そして世界にも通じる「日本の文化」を大切にし、
世界中の人が感銘するような道場を!!!
そのためには傀儡化したものではなく、
伝統と新しい時代に沿う稽古と指導を大事にしたいと思っています

塩田剛三の残した格言

ほぼ父の言葉のようによく聞かされていたのは、
「合気道即生活」


父は本当の修業とは、
「行住坐臥(ギョウジュウザガ)、これ最善の道場なり」と言ってました。

 

どういうことか?と聞くと、


父が植芝先生との修業時代のことを抜粋して話してくれました。

 

合気道の稽古へ通い、朝から晩まで同じ時間、同じ練習をしていても、
先輩にはかなわず、後輩には抜かれていくと感じたそうです。

 

何故か?何処が違っていたのか?と考えてたら、
皆が道場に泊まり込んでいたことに気づいたそうです。

 

それから泊まり込みの生活が始まりました。


先生が起きてから寝るまで、傍を離れず身のお世話をして稽古をしていると、メキメキ強くなっていきました。

 

それは、トイレに行くにもドアを開ける、終わった後にタオルを用意する、
食事を作り、片づけをする。
手をあげるとお茶を持っていく と・・・。


「一挙手一投足(イッキョシュイットウソク)」


ピタリとした阿吽の呼吸を学んだことが、合気道の修業の極意だと分かりました。

 

今では考えられないことですが、
先生が何処へ行くのにも、何をしていても側を離れずに集中したことが、合気道の強くなる近道でした‼

 

合気道即生活は、本当の合気道の修業なのだと身を持って体験をしたということですね❗

 

イギリスの思い出

この年を忘れることはなく、私は198110月にイギリスに旅立ちました。

 

英語は勉強をしたつもりでした。


しかし、現地に着いてすぐに体育館の上の店で会議がありましたが、全然、理解ができませんでした。


英語の実践の大切さを知りました。

 

最初は、ワトフォードというロンドンから車で1時間くらいの所に道場があるので、そこに住んでいましたが、日本人がまったくいないのでロンドンのゴルダーズグリーンという日本人とユダヤ人の多い所に移り住み、車で送り迎えをしてもらいました。

 

その他には4ヶ所くらい指導に行っておりました。


午前中は学校に通い、夕方から合気道の指導をする暮らしが始まりました。

 

日本で暮らしているのと比べて、海外で暮らす大変さがよく分かります。
また、ヨーロッパに出掛けるとイギリスの安全性が分かります。

 

合気道の稽古では、生徒は皆、真剣に取り組み、日本人以上に熱心で、日本での稽古を夢見ていました。


彼らの中で約10名が10日間ほど日本を訪れて、とても喜んでいました。

 

海外での合気道の指導は、考え方の違いがあり大変でした。


その中で一番良い教え方は、キリストの話と日本の考え方の共通するところがあり、


キリストは、相手が殴って来た場合、

 

「さぞ手が痛かったでしょう」
「もし、更にお怒りであれば左もどうぞ」


と言ったそうです。


日本でいうところの寛大さでしょうか?

 

塩田剛三は、
「殺しに来た人と友達になれ」
と言っています。

 

何か共通していると思いませんか?

 

相当の寛大さと余裕がないとできないことでしょうか?


「それが修行」
と父は言ってました。

 

どんなピンチがこようと、どんな苦しみがあろうと、
それを飲み込んで笑いに変えられる人物に成るのが


「最大の修行」


であるということを私に教えてくれました。


どんな苦しみも笑いに変えられるようになるまで、
合気道を修行していくことが世の中で一番大事でしょうか?


それには、それぞれの自分に合った修行を、
やり続けることが人生を生きるコツになることでしょう。

 

 

海外と私

中学生の頃を思い出すと、マレーシア人のSammyが代々木の道場に泊まり込んでいて、私も学校の冬休みに道場に泊まってよく一緒に話していました。


いつも、サミーサミーと言ってたのでサミーという名前とアダ名が一緒に成った感じです。


楽しく稽古をしたり、いろいろな所に遊びに行きました。


サミーから、マレーシアに遊びに来なと言われて、私も動物が好きだったのでジャングルでも行けるのかな?とワクワクしてたのを思い出します。


しかし実現したのはずっと後で、イギリスから帰ってきてからとなりました。

 

イギリスには、3年間居ました。ロンドンには、余りイギリス人が居なく、東京でいえば高尾辺りの離れた所に多く住んでいました。


そこで、学んだのは一ヶ所で教えるのではなく、四方八方に教えると、人が多く集まるということでした。

 

それから、マレーシアに行った後に考えたのが、文化センターで、都内近郊を含めて、千葉、八王子、川越、金町、柏といった所に、週に一回、毎日教える試みでした。


合気道に興味のある人に楽しく学んでもらうのが目的で、其々の楽しいグループが創れたらいいなあと思っていましたが、それが成功して楽しい合気道が出来ました。 

 

多くの人が楽しく合気道をしている姿をみると、本当に嬉しくなりました。

 

 

次回は海外での内容を話してみたいと思います。

 

 

 

合気道としての私

私の環境は、父の姿を見て育ったに等しい人生です。

 

塩田剛三は確かに達人でした。そして、父という人間でもありました。


親父の心には親子としての優しさも有りました。
いつも子供みたいにはしゃぎながらも、規則正しい行動をしていました。

 

それは何処からきたかというと父の修行時代に成ると思います。
若い頃は、同僚や植芝先生と、合気道を強く成るという目標を持つこと。
楽しい時代は、その時に芽生えたと思います。

 

その後、親父を支持してくれる財界、政界の人々に、
「塩田剛三の合気道は、世の中に残していかなくてはいけない」
という思いで養神館を創りました。


その全盛時代は筑土八幡に始まり、参宮橋の道場まで続きました。


しかし、父の苦労はそこから始まりました。初期の応援してくれた人は亡くなり、小金井に移りました。


父の暗黒時代の始まりです。


周りの人からは、裏切りがあり、信じられる人がいないような孤独な時代だったと思います。

 

そして落合の道場に移りましたが、その時も同じように孤独な状態です。

 

私もその多くの出来事を小さい頃から見たり知ったりしております。

歴史は繰り返すようで、今は私にも同じような事が起こるのだなと感じております。

 

これは、人間の自分勝手な性であると思っております。


私が父から学んだ事はそのような事も含めて、実際に私も体験しているということです。

 

人は、非常に困難になった時に、
「プラスに変えるか?」
「マイナスに成るか?」
のどちらかだと思います。


そこでプラスに生きられる人は、粘り強い精神で、何でも押しきっていける人になると思います。

 

どんなに孤独になろうと、生まれる時、死ぬ時は一人です。


誰も助けてくれる訳ではありません。


そういう気持ちで強い覚悟を持っている人は、
周りからは輝いて見えると思います。

 

勿論、生きている時は一人では生きられないので、多くの人の助けを借ります。

 


おそらく、死後では体験が出来ない、多くの人を助けたり、愛されたりする経験をして生きていくことが人生だと思います。

 

父、塩田剛三は合気道を通して多くの哲学を教えてくれました。


「人には経験の出来ない多くの困難を乗り切れ」という事を、亡くなった後にも私に試練を与えて教えてくれている気がします。

 

今は、合気道の指導を中心に哲学を学び、色々な事を修行して
塩田剛三の本当の精神を哲学として伝えて行くことに喜びを感じております。

 

 

対すれば相和す

 

「対すれば相和す」から「喧嘩に来た人と友達に成る」のは、同じ言葉に見えますが、喧嘩に来た人とは、その人に憎しみを持っている事になるので、そう簡単に相和すにはいかないと思います。
父は冗談を言って相手を笑わすまでいければ、そうなると言っていました。

 

例えば、権力を使う人は威張っておさえようとします。
そこで大事なのは線と線がぶつからないようにすることです。
強い口調で言ってきた時に強く言い返す。これでは同じ波長になってしまいます。
余り相手の事を考え過ぎても言葉が出なかったりと、難しいものです。
波長がずれていると入っていけます。
その為にはぶれない中心線と、方向転換が自由に使える事が重要です。

 

中心がないと自分がなくなり、相手に負かされてしまいます。
中心は、ぶれずに左右、上下に自由に相手にぶつからなければ、楽しい会話に成って殺しに来た相手とも友達に成れるかもしれません。

 

それには、自分のプライドも棄てて無になれる修行が必要です。

 

それによって心も軽くなり、わだかまりも無くなります。

 

合気道で一番難しい、力を抜くという事ですね。

 


自由技を遣るときに演技ではなくぶっつけ本番で応用を効かせて相手に入りこむのと似ていますね。
相手の目をみて相手の動きを読めるように為れば面白く成って来ます。